yoyoyoっと現実主義っぱdeath

先日、元某証券会社に勤めていた方とお話をする機会がありまして、
どのような仕事をしていたのか、なんで今の仕事にしたのかと。
まぁ、そういう風な話をしましてですね。
ちょっと寒気したね。

「鬼になりきれなくて、自分には耐えられませんでした」

この言葉に冗談が含まれてるのかどうかってのは、
面と向かって話してる俺が一番よく分かったな。
読む人のために一応書いておきますが、
全員が全員そうではないってことは事実。
しかしながら、そういう状況が少なくとも俺の目の前に1件はあるってのも事実。
その人の話しぶりからして、これは本当だなと確信した。

だからどうしたと問われれば、自分で思うことはあるが、どうもしない。
一つの事実として受け止めるだけで、あとはなにもない。

あなたはどうだろうか?

「うわー、それはやりすぎだ」「ふ〜ん、普通じゃん?」
「決まりの中でやってるんだから、問題ないんじゃ?」
「ちょっとそれは許せないなぁ」

いろいろな思いがそこに出てくるだろう。
俺にもそれはある。

ここからが本題だ。
思うのは勝手だが、それを表に出すのは勝手じゃない。
それを表に出すことを「自分勝手」と言う。
人に言われたままのことを鵜呑みにしたり、あなたなりに考えたとしてもな。
「1+1=3だよ」と言われたら、あなたはどうする?
「1+1=2」ということを知ってるから、それは違うと言えるだろう。
もしさ、「1+1=2」ってのをあなたが知らなかったら?
「1+1=3」ということであなたは覚えてしまって、
それだけならいい。
それを他の人に伝えてしまうってことを俺は危惧するわけよ。

計算のような答えが一つのものばかりについて言ってるんじゃない。
「あの人は○○だよ」「あの人が○○って言った」
こう言われた時にあなたは「あの人」を知らないってこと。
それなのにそのまま他の人に「あの人は○○なんだって」
と伝えるようなことはないだろうか?ということである。

人に伝えるには自分で確かめ、100%までいかなくてもいいから、
自分で確信がもてるようになるまでがんばる。
右から聞いたことを左にそのまま流すことが、
どれだけ他の人の迷惑になるか考えられない人が多いと感じる。

俺とNetで話した人なら分かると思うが、人のlog流したことないでしょ。
こう言った事実があるってことで流すのだろうが、浅墓だ。
それがどれほど暴力を振るってることになってるのかは、
その人にはわかってるはずないわな。

あなたが話す相手も一つの事実として認識できる力を持ってると、
あなたがそう確信しているなら、それでいい。
ただし、「俺はあの時は大丈夫だと思った」
なんて言い訳が通用するほど、世の中甘くない。

元某証券会社の人がどのような仕事をしてきたのか、
具体的に書かない理由はここにあるわけだ。

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